【夫からのメール】
この前、夫からメールが来て、厳格なクリスチャン外国人ジェフが日本に愕然とする動画のURLを紹介してくれました。
[こちら](https://www.youtube.com/watch?v=tOLnuozYxFA)です。
この中には、クリスマスの時にお寺の住職がサンタの格好をして、子どもたちにおもちゃをプレゼントしまくるシーンがあります。
その情景に、ジェフが発狂するんですが……
【無知と無理解】
日本では、キリスト教のイベントと言うより、恋人たちや子供たちなどのイベント、という側面の大きいクリスマス。
それを見てこのジェフは、日本は宗教に寛容だと感心するシーンがあります。それは別に、いいんです。寛容には違いないから。
しかし、実際には、日本人の多くは、宗教に対して無知や無理解を示します。このことが外国で問題にならないのは、ふしぎですね。あるいは既に問題になってるのかもしれない。自分の宗教を冒涜されたと思う外国人もきっといるはず。
ではわたしになぜ、それがわかるのかということを以下に述べます。
【浦島太郎の物語】
突然ですが、浦島太郎の話はご存じですね。亀を助けて竜宮城へ行ったら、三日過したはずなのに帰って見たら三百年経っていた。決して開けてはならない玉手箱を開けたらたちまち太郎はおじいさん。
[こちら](https://news.mynavi.jp/article/20220729-2407799)です。
【元ネタは中国の話らしい】
玉手箱の中に寿命が入っていて、時間を越えて亀と行き来するため、玉手箱が必要だった、という話を聞いたことがあります。
元ネタは玉手箱を開けた途端、鶴になってしまう太郎。ここに、宗教的な意味があるという説もある
(蓬莱山が出て来たり、鶴が出て来たりするのは儒教の影響だという話)。
日本人は、そういう説教臭いところはスポイルして面白いところだけを伝承してしまう。それは、仏教もキリスト教も同じこと。
宗教くさいことを、多くの日本人は嫌います。なので、わたしの思うに、日本人が宗教に対して「寛容」というより、「敬して遠ざける」というのが正解だと思う。
【いつまでそれが通用するか】
日本人も、人口が減ってますから、こういう感覚が次世代に伝わっていく状況は、確実に減りつつある。
外国人は、宗教のない世界なんて信じられないわけですが、日本人のこの感覚(敬して遠ざける)を説明する人がいなくなるため、いずれ日本も宗教に対していい加減な態度は取れなくなるとわたしは見ています。ちゃんと学ばないと、増加していく外国人と無用な軋轢が生まれることは必須だと思うからです。
【ふと現実をみまわして】
いま、イスラム教徒が土葬の件で、「日本国の法律は火葬」というのが問題だと言ってるけど、火葬と言うことに関してこれらイスラム教徒に、なぜこういう法律なのかと言うことをどう説明するのか。信教の自由は、憲法の下に保障されているのであって、逆ではないってことを、信仰を持つ人はなかなか理解できません。宗教に弱い日本人だから、なかなかこの問題、片付かないかもねとも思う今日この頃。
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