【ネチケットを考える】
この度、中国新聞新人短編賞に作品を応募させていただいたのですが、その際のテーマとして選んだのが、現代社会で頻繁に見られるネットの炎上現象でした。
実はこの作品の中には、わたし自身が実際に経験したことが部分的に織り込まれています。その体験を通じて得た気づきや反省が、創作の原動力となりました。
いやー、炎上という現象は、本来ならネチケットについて議論する以前の、もっと根本的な問題なのですけれども。
事の発端は、お互いに感情的になってしまったことでした。
でも、時間が経って冷静になってみると、わたしの対応にも行き過ぎた部分があったと気付かされました。
そういった複雑な心境や葛藤を、作品の中に描き出そうと試みました。
このような経緯があり、今回お話しさせていただくテーマは、ネチケットについてです。
インターネット上でのエチケット、つまりネチケットについてですが、最近ではその言葉自体があまり使用されなくなってきました。これは非常に興味深い現象だと感じています。
私たちの生活における便利さの追求は、図らずも人々の心の機微や思いやりの心を少しずつ摩耗させてしまっているのではないでしょうか。
【LINEの投稿時期】
現代の便利なコミュニケーションツールの代表例として、LINEがあるのですが、以前、わたしはそのLINEを使って、早朝から長文のメッセージを投稿してしまい、思いがけず受信者の方々に不安な気持ちを抱かせてしまう出来事がありました。
「朝七時という時間帯から、こんなに長い文章を送られて、しかもその内容が深刻なものだったので、とても不安になりました」
というご指摘を受けたのですが、その時わたしは「気になるようでしたら、LINEの通知設定をオフにしていただければ済む話です」と返答してしまいました。
LINEにしてもメールにしても、送信者が自分の都合やペースで文章を送れることは、このツールの大きな利点の一つだと考えています。
ところが、通知設定の変更方法を知らない相手に対して、そんな基本的な知識も持ち合わせていないことを笑うような態度を取ってしまい、結果として炎上を引き起こしてしまったわけです(苦笑)
このことから学んだのは、相手の知識不足を軽んじたり、笑いものにしたりすることは決して許されないということです。
これこそが、ネチケットの重要な一側面なのです。
【フォローするということ】
個人的な話になりますが、わたしはフォロワー数については、特別な感情を抱いているわけではありません。
むしろ、フォロワーの増減に一喜一憂していては、本来伝えたい内容を自由に発信することができなくなってしまうと考えています。
ただし、ブログを運営している方々の中には、
「新しくフォローしてくれる際には、簡単な挨拶のメッセージを添えていただけると嬉しい」
という意見をお持ちの方も少なくないようです。
「あなたの投稿内容に共感し、興味を持ちましたので、フォローさせていただきたいと思います」といった一言を添えることが、ネット上での礼儀作法ではないか、というのがその方々の考え方です。
わたしは特に挨拶は不要だと考えています。フォローするのも離れるのも、いちいち面倒です。それは、相手にも言えることで、わたしをフォローしようと離れようと、その人の自由だと考えています。
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